道徳哲学史講義 「編者の緒言」
道徳哲学史講義 編者の緒言
バーバラ・ハーマン
〈前略〉
1977年以前の道徳哲学史講義
p.14
ハーバードでの30年のあいだ、ロールズは、道徳哲学および政治哲学の分野での多様な科目を提供した。最も大きなインパクトを与えたのは、彼が、倫理学に関する自分の学部入門科目と考えてた科目であった。1977年以前には、その科目はさまざまな歴史的人物を混ぜて概観するものであり、そこには通常、アリストテレス、カント、ミルが含まれ、ときにはヒュームやシジウィックも含まれていた。この科目は「倫理学」と呼ばれることも、また「道徳心理学」と呼ばれることもあった。
道徳心理学は、ロールズが教授した形のものとしては、倫理学の学術的な意味での一分野ではなく、むしろ、道徳的構想の人生における役割に関する研究であった。すなわち、
1. 道徳的構想が道徳的推理を組織化する様式や、
2. 道徳的構想が前提とする人格の構想や、
3. 道徳的構想の社会的役割
などを研究するものであった。それは、「正」についての実質的説明と一緒になって、道徳的構想の実践的な部分を完成させるものであり、また、それが、それ自身に非常に特有な寄与を含むということもしばしばあった。
道徳的推理、道徳的構想、社会的役割
p.14
その科目の大まかな計画案には、卓越主義、功利主義、直覚主義(直観主義)、カント的構成主義という、道徳的推理の基本的な4タイプの輪郭を描くことが含まれていた。歴史的なテキストから引き出された諸見解が、これら4つ項目の内部で詳論されたが、それはつぎのような諸問題に回答しようとするためであった。すなわち、
1. わたしたちはいかにして —— 合理的および道徳的に —— 熟慮するのであろうか。
2. 信念の諸原理と動機とのあいだの関係はいかなるものであろうか。
3. 何が第一諸原理であり、またわたしたちはいかにして、その原理に基づいて行為することを望むようになるのであろうか。
といった諸問題である。十全な応答をするのに必要不可欠なことは、つねに、道徳的構想が担う社会的役割を説明することであった。ロールズは社会的役割という観念はしばしば、不当にも、競合するいくつかの主張を裁定するための諸原理を発見することだけに限定されている、と考えていた。社会的役割のより広範な吟味のためには、道徳的構想は社会の公共的な文化の不可欠の一部でありうるか否か、ありうるとしたらいかにしてそうなのか —— 道徳的構想はいかにして、わたしたち自身やおたがいを、合理的で理にかなうものとみなす見方を支持するのか —— 、ということの考察がなくてはならない。これらは、それ自身の方法をそなえた一哲学分野としての道徳哲学にとっては、解答することの可能な種類の問題である、とロールズは考えた。
他の種類の諸問題 —— たとえば実在論や意味に関する諸問題 —— は、道徳哲学が最も効果的に探求しうるものでもなければ、道徳哲学に特有な問題領域で進歩を遂げるのに必要なものではない(注釈 1)。
(私見: この一行は超重要!!!)
分析哲学と呼ばれるものと、道徳哲学についての、ロールズの考え
(注釈 1)
つぎを参照。ジョン・ロールズ「道徳理論の独立性」(同著『論文集』所収、 Cambridge, Masss.: Harvard University Press, 1999)
(私見: 現代哲学の主流である、分析哲学の手法に対して、一線を画す宣言と読める)
松元雅和『現代政治理論の方法に関する一考察』
反照的均衡
講義の変遷 1977年以降
p.15
1960年代中ごろに科目は変化し、ロールズはおもにカントの倫理学説に焦点を合わせるようになった。この変化は時期的には、のちにデューイ記念講演(コロンビア大学で行われた「道徳理論におけるカント的構成主義」)へと結実する作品と一致するが、この講演のなかでロールズは「『正義論』のカント的な淵源えんげんをよりいっそう明晰に記述する」ことと、カント的形態の構成主義を仕上げることとに関心を向けている。彼は、そうした形態の構成主義が問題場面に現れていないことが「道徳理論の進歩」を阻んでいる、と考えていた(注釈 2)。
(注釈 2)
ジョン・ロールズ「道徳理論におけるカント的構成主義 —— 1980年デューイ講義」(『哲学雑誌』第77巻9号所収、1980年)
ロールズがカントという新たな題材を初めて教授したのは、道徳的善の問題に関するカントの考え方を扱った大学院ゼミ(1974年春学期)においてであり、そして1977年春学期には、彼は、最初のシリーズの「カント講義」を行った。
講義原稿の提供
p.15
講義が始まってから1週間半ほど経つと、彼は、必死に逐一ノートしようとする学部生と大学院生を気の毒に思い、そこで、だれでも希望する者には自分の講義原稿を利用できるようにしようと提案した。
手書きノートの最初の束を複写したものは40セントの値段だった
〈略〉
本書における諸講義は、1991年における最後の講義提供をもとにしている。
1979年、1987年、1991年の大きな修正
p.16
この講義は1979年と1987年と1991年に大きな修正を受けた。
(これらの年度のあいだでも、諸版は改善され訂正されるのがつねであったが、しかし、実質的には同じままであった)
講義の最初の版(1970年代)を編成するための原則は、『道徳形而上学の基礎づけ』についてひとつの解釈を行うことであった。
10回の講義のうちの8回は『道徳形而上学の基礎づけ』に関するものであった。それに加えて、ときには直覚主義について、ときにはシジウィックについて行われる1回の入門講義と、道徳心理学と、構成主義と、そして10番目の理性の事実についての講義があった『道徳形而上学の基礎づけ』を論じるにあたっては、ロールズは定言命法の諸定式と、道徳的判断の一手続きとしての定言命法が抱える周知の難点とに、少なからぬ注意を払った
1980年代中ごろになると、ロールズはヒュームとライプニッツに関する講義(4回がヒュームに関するもの、2回がライプニッツに関するもの)をつけ加え、そしてカント講義の内容もほぼ最近の形へと移行した。
すなわち、4回だけが『道徳形而上学の基礎づけ』についてのものであって、他の6回のカント講義は正の優位性、構成主義、理性の事実、自由、『単なる理性の限界内における宗教』の道徳心理学、理性の統一性、についてものものである。
1991年には、人為的徳としての正義に関する1回の講義が、ヒューム講義の第5回目となり、またヘーゲルについての2回の講義がつけ加わった。
(とは言っても、ロールズは配布用には、ヘーゲル講義の版を作らなかった(注釈 3)。
(注釈 3)
本書におけるヘーゲル講義は、ロールズがこれらの授業のために用意した草稿と、彼が政治哲学の科目の講義のために用意した不完全な草稿の一部とから、編者が編集したものである。ロールズはこれらを1998年に読み上げ、いくつかの変更を行った。ロールズのヘーゲルにたいする長年の興味に鑑みるなら、道徳哲学へのヘーゲルの寄与に関する彼の見解の一部でも出版するということは編者の裁量にとしても許されるように思われた
講義の変遷における2つの考え
p.16
ロールズがカント講義を再考するにあたっては、2つの考え方が顕著に現れていた。
一つは、『道徳形而上学の基礎づけ』と、それが収集する解釈上の諸問題とにあまりに熱心に専心することは、道徳理論にたいするカントの貢献について歪んだ像を伝えてしまう、ということである。
中心的諸概念の多くは、『実践理性批判』、『単なる理性の限界内における宗教』、『徳論』(『人倫の形而上学』「徳論」)のなかにだけ見られる。加えてロールズは、定言命法の手続きの詳細を定めることの重要性は、そういった手続きがそもそも何を問題にしているのかを —— つまり、カントはどうして、形式的手続きなるものが、合理性の非道具的な構想の模範を形づくりうると考えたのかを —— 理解することの重要性には遠く及ばない、と考えるようになった。
第二の大きな決断は、自由に関する諸主題と、基礎づけ的な諸問題へのカントによる構成主義的解決法を取り上げる、ということであった。
この点ではロールズは、『道徳形而上学の基礎づけ』は最終的意見でもなければ最良の意見でもない、と主張する。
ライプニッツ講義
p.17
(この点ではロールズは、『道徳形而上学の基礎づけ』は最終的意見でもなければ最良の意見でもない、と主張する。)
カント講義におけるこの強調点の移動が、ライプニッツに関する講義を含めることになった動機の一部になっている。
ライプニッツは、カントの時代のドイツ哲学における有力な人物であり、したがってカントの関心がライプニッツのそれに触れるさいには、たとえ彼が彼自身に特有の見解を展開していても、「ライプニッツの発想が、しばしばカントの成熟した教説を、影に陽に形作っているという事実が依然として残る」(ライプニッツ講義 Ⅰ 第1節)。
このことは特にライプニッツによる、信仰と理性的信仰との哲学的調停、完全性主義、自由に関する見解に関しては当てはまる。ロールズにとっては、カントの構成主義を真剣な仕方で理解するためには、彼の時代の合理主義思想の長所と短所を、ある程度の歴史的特殊性を踏まえながら十分に認識しなければならない。
ヒューム講義
pp.17-18
ヒュームについての、とくに『人間本性論』第2巻についての、長い議論が、つねにカント講義の一部をなしていた。
カントの道徳心理学とヒュームのそれとを(一方を他方の引き立て役として)比較するということはありふれているが、しかしそういった比較では、ヒュームについての見解はえてして表面的になりがちである。つまり本源的存在としての情念、わたしたちの関心と目的の源泉としての情念、理性の純然たる道具的役割、等のことだけを取り上げるわけである。
これとは対照的に、ロールズは、ヒュームの道徳心理学に細心かつ詳細な目配りをし(ヒュームによる理性主義的直観主義批判に特別な注意を払うのだが)、『人間本性論』のテキストから、熟慮と実践的推理に関する豊富で多層的なヒュームの説明を注意深く引き出していくる。強力であるとともに素材に富んでもいる、というのがヒューム的な見解なのである。
しかし、それでもロールズは、熟慮に関するヒュームの欲望基底的な説明が、すなわち、実践理性の説明にとっては原則依存的な欲望が基本的であるというカントの合理主義的道徳哲学の中心的考え方を動機づけている説明が、まさしくいかなる限界をもつのか、ということをあきらかにする(ヒューム講義 Ⅱ 第5節)。
ヘーゲル講義
p.18
カントに照準を合わせた一連の諸講義のなかにヘーゲルを含ませたことの意味は明白である。それは、ヘーゲルによるカント倫理学批判が、以後の150年間以上にわたるカント解釈の用語を定めたということである。だが、ヘーゲルにたいするロールズの主要な関心は、彼の批判を反駁することにあるのではなかった(ロールズにとってはおそらく、そういった反駁を行ってもそれだけでは足りず、むしろ、カントを精読することで十分なのであろう)。
ロールズの関心を惹くのはヘーゲルの人倫概念である。それは道徳性(および道徳哲学)の担う広範囲な社会的役割という概念をヘーゲルが練り上げることを可能にしている考え方なのであるが、この概念は最初は、カントの倫理学的および政治的諸著作のなかで提唱されたものであった。
ある意味でヘーゲル講義は、カント的道徳思想とロールズ自身の業績のリベラリズムつなぐ接合部分を描写している。たとえば、
1. 諸個人とは「政治的社会的制度の体系 —— 諸個人はこの下で生活している —— に根ざしそれによって形成されたもの」(ヘーゲル講義 Ⅰ)であるとする見解、
2. 世俗的社会における宗教の位置
3. 公共の倫理的生活における哲学の役割
などである。多くの者とは違い、ロールズはヘーゲルをリベラルな伝統の一部として読むのであるから、彼のヘーゲル解釈は、わたしたちがその(リベラルな)伝統の完全な形態がいかなるものであるかを理解するのに役立つ。
たしかにヘーゲル講義を読むと、歴史的なテキストを解釈するロールズの方法が十分にわかる。もしも、第一級の哲学者があれやこれやの見解を展開しようとする理由を理解することから何か大切なことが学びとられうるのだとしたら、その見解がわたしたちには誤って見えるとしてもそれは重要ではない。
(私見:「見解が誤って見える」、ヘーゲルを「リベラルな伝統」として読み取ることを指すと思われる)
バートン・ドレーベンの回想録におけるロールズの教え方についての描写
p.19
哲学のテキストを学生たちに提示するさいのロールズの目的と方法については、彼本人以上に雄弁に語れる者はいない。1997年、彼は自分の教え方についてじつにすばらしい描写を行った。それは彼の友人であり同僚であったバートン・ドレーベンの回想録の末尾近くにある。
1
たとえばロックやルソーやカントやミルについて講義するさい、私はいつも、とくに二つのことをしようと努めた。一つは、彼らの問題についての彼らの理解が、彼ら自身の時代のなかにあったことを前提しつつ、その問題を彼ら自身が見ていたままの姿で提起する、ということである。私はよく、コリングウッドのつぎの意見を引いたものである。
「政治理論の歴史とは、同じ一つの問いにたいするさまざまな解答の歴史ではなく、むしろ、多少とも恒常的に変化する一つの問題の歴史であり、そのゆえに、その問題の解決法がその問題自身とともに変化している」(注釈 5)。
(注釈 5)
ロビン・ジョージ・コリングウッド『思索への旅 : 自伝』第7章「哲学の歴史」p.74
思索への旅 : 自伝 (フィロソフィア双書 ; 2) | NDLサーチ | 国立国会図書館 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001518545
引用部分 : 思索への旅 : 自伝 (フィロソフィア双書 ; 2) - 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12289935/1/40?keyword=政治理論の歴史とは
私がしようと努めた第二のことは、それぞれの著者の思想を、私がその最も強力な形と考える形で提示する、ということである。私は、
「学説というものは、その最良の形で判断されたときにはじめて判断される」(注釈 6)
という、アルフレッド・セジウィック評におけるミルの意見を胸に刻んだ。
(注釈 6)
ジョン・スチュアート・ミル「セジウィックの論説」
功利主義論集 (近代社会思想コレクション ; 05) | NDLサーチ | 国立国会図書館 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011055684
私は、著者はかく語るべきであったと私自身が考えたことは、少なくとも意図的には語らず、むしろ、著者が実際に述べたことを、テキストの最も理にかなった解釈と思われるところに依拠させながら語った。テキストはまず熟知され尊重されねばならず、その学説は最良の形で提示されねばならなかった。テキストを脇へよけたままでいることは、無礼であり、ある種、偽ることであるように思われた。もしテキストから離れる —— このことに害はないのであるが —— のであれば、私はそのことを伝えねばならなかった。こういったやり方で講義することが、著者の見解をよりいっそう強力で説得力あるものとし、また、よりいっそう研究に値する対象とする、と私は信じた
2
私はつねに、目下研究している著者たちは私自身よりもはるかに賢明である、ということを当然と考えていた。もしそうでなかったとしたら、私はなぜ、自分の時間と学生たちの時間を、彼らの研究に費やしていたのであろうか。彼らの議論のなかに間違いが見えたとしても、私は、彼らにもそれが見えており、したがって彼らはそれに取り組んでいたに相違ない、と想定した。だが、どこで取りんだのか。私は、私の打開策ではなく、彼らの打開策を探し求めた。
ときには、彼らの打開策というのは、歴史的事情を加味するものであった。つまり、彼らの時代にあっては、当の問いは提起される必要がなかったとか、あるいはまた、それは生じなかったであろうから、そのときには実りある仕方では論じられえなかったであろう、とかの打開策である。
あるいは、私が見落としていたり読んでいなかったりするテキストの部分があったこともある。
私は、単純な間違いはけっして存在しておらず、少なくとも重大な間違いは存在していない、と仮定した。
3
こういったことを行うにあたっては、私は、カントが『純粋理性批判』で述べていることに、すなわち、哲学とは可能的な学というたんなる理念であって、具体的にはどこにも存在しないということに、倣った。
「人は哲学を学ぶことはできない。けだし、哲学がどこにあるのか、誰がそれをもっているか、何によってそれが認識されるか、人はそれを知らないからである。人はただ哲学することを学びうるのみである。換言すれば、自己の普遍的原理を遵奉じゅんぽうする理性の才能を、現存するなんらかの試図によって練磨することができるのみである。しかもつねに、その普遍的原理そのものをその源泉において探求し、確証し、あるいは拒否する理性の権利だけは留保されている」(B866)
岩波文庫『純粋理性批判』下巻 Ⅱ 先験的方法論 第3章「純粋理性の建築術」 p.128
「我々は哲学というものを学習することができない。実際 —— 哲学はどこにあるのか、誰がそれを所有しているのか、また我々は何によってそれが哲学であることを識知するのか、我々は所詮、哲学的に思索することを学び得るだけである、 —— 換言すれば、理性の才能を理性の一般的原理に従って、現に存在している或る種の哲学的な試みについて用い得るだけである、とはいえその場合にも、かかる試みをその源泉について究明し、確証し或は否定する理性の権利は保証されているのである。」(B866)
こうしてわたしたちは、道徳哲学や政治哲学を —— それどころか哲学のどの部分をも —— 、手本を研究することによって、すなわち、胸に抱いた哲学への試みを実行した著名な人物を研究することによって、学ぶ。そしてもし運がよければ、わたしたちは彼らを越えていく途を発見することになる。…
4
このことの結果として私は、手本にたいして異論を唱えることには気が進まなかった。そうすることはあまりに安易で、本質的なものを見落とすからである。しかし、同じ伝統のなかであとになって現れた者が乗り越えようとした困難を指摘したり、他の伝統のなかにいる者が間違ったものと考える見解を示したりすることは重要であった。…
5
カントについては、私はほとんどまったく批判を行わなかった。私の努力は、学生に彼の考え方を伝達しうるべく、彼の言うことを理解しようと務めることに集中した。
ときとして私は、シラー、ヘーゲルの反論や、ショーペンハウアー、ミルの反論のような、カントの道徳学説にたいする有名な反論を論じようとした。それらを精査することは有益であって、カントの見解を明快にしてくれるからである。
だが私は、カントの学説全体については、到達した理解に満足したことは一度もなかった。自由意志や理性的宗教についての彼の考え方を、満足ゆくほど把握しえたことは一度もなかったが、それらは彼の思想の中の核心の一部であったに相違ないのである。
偉大な人物はみな……、わたしたちがいかに懸命にその思想の習得に努めようとも、ある程度はわたしたちを越えたところにいる。カントの場合はしばしば、どういうわけかこの距離がはるかに大きいように私には思える。大作曲家や大芸術家 —— モーツァルトやベートーヴェン、プーサンやターナーのことであるが —— と同様、彼らは羨望されることを越えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラ・プッサン
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
講義のさいに学生に、自分の言葉とふるまいで、この感覚と、なぜそうであるかの理由とを伝えようとすることは非常に重要である。こういったことは、テキストの思想を、敬意と尊重に値するものとして真剣に取り上げることによってはじめて可能となる。これはときとして一種の畏敬であるかもしれないが、しかしそれは、権威あるものとして、テキストなり著者なりにへつらったり、それらを無批判に受容したりすることとは明確に異なる。
真の哲学はすべて、公正な批判を追い求め、永続的に下される反省的な公的判断に望みをかける。
(私見:これと似た文章が『政治哲学史講義』「編者の緒言」 に引用されている)
政治哲学史講義 「編者の緒言」
「私の授業についての若干の見解』(1993年)
〈以下、略〉